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「体感映画のススメ」平岡香純監督を迎えて に行ってきた

應典院主催のコモンズフェスタの一企画である「体感映画のススメ」に参加した。ゲストは平岡香純監督。

個人的な感想を一言にすると、「今までにない映画体験をした」、「こんな映画があるんだな」と。あるいは、「こんな風に映画を見たことはなかったかもしれない」。

平岡香純監督は学生時代から映画を撮り始め、数々の作品を制作しており、今回上映された「落書き色町」では調布映画祭2008でグランプリ受賞、世界15ヶ国、40の映画祭での上映など、国内外で大活躍されている。モンモン★トゥナイトというバンドでの音楽活動もしている。

当日の流れは、はじめに監督の紹介(+最新作「プリミ恥部な世界」のダイジェスト版上映)、監督のトーク、映画「落書き色町」の上映、そして参加者との質疑応答と続く。

監督にとっての映画とは、非日常への想像力を喚起するもので、「もっとわくわく、面白く、刺激的」で、自由な映画を求めていて、それは最新作の「プリミ恥部な世界」でのライブやダンスパフォーマンスなどが入り乱れる構成に顕著に現れているようだ。(しかし私は未だに「プリミ恥部な世界」を見ていない!)
印象に残っているのが、「ストーリーは映画の一つの要素にしか過ぎない」、そして観客が主体的に映画から“何か”を感じ取ってくれればよい、という言葉。
普通、映画には解釈がつきもので、それが監督が提示する何らかの「答え」なのか「問い」なのか、あるいはその他の何なのかは分からないが、映画の中の世界背景、キャラクター、人間関係や、それらの変化などといった様々な要素の集合体が物語で、それは映画の本質的なものであると考えていた。
映像表現が感覚的なものであるということは信じているが、どうしても映画の中から論理的な部分を抽出して、何らかのテーマについての「問い」なり「答え」なりを探すという見方に慣れてしまっているので、上映前の監督の語りがなければ、間違いなく混乱していたに違いない。あるいは、そのような「答え」を見つけられず違和感を覚えていただろう。そして、これは難解な映画だと、それ以上見ることを放棄していたかもしれない。
実際見てどうだったかと言われても、うまく言葉では言い表せないが、どこか哀しく、儚く、しかし台詞や美術、演技などの表現は強烈で、でも総体的にとても美しいと感じた。「言葉にはできないけれど、なんとなく何かを感じた」が許されるということが新鮮だった。
鑑賞後の質疑応答での、参加者が平岡監督の映画の見方として「考える」という言葉を使うことを、その都度「考えるというか、”感じる”」と言い直す平岡監督の姿がとても印象的だった。

イベントでは、「映画とは?」、「映画製作の動機は?」といった本質的な話を実にユニークな体験談などを交えて説明していて、その体験談を聞くだけでもすごく面白い。

5月には九条のシネヌーヴォで最新作である「プリミ恥部な世界」が上映されるという。人に説明しにくい映画なのでとりあえず見て「感じて」ほしいと思います。私は絶対見に行きます。

【参考website】
應典院
コモンズフェスタ2010
mybrassierefilm
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「ディア・ドクター」ってどんな映画?

在放映中のディア・ドクターを見に行った。以下ネタばれ注意。

画「ディア・ドクター」。「ゆれる」、「蛇イチゴ」の西川美和監督の最新作。
西川監督はまだ30代半の若手実力派監督。大学卒業後、是枝裕和監督に見出され、同監督の「ワンダフルライフ」にスタッフとして参加。以後フリーの助監督として諏訪敦彦監督の「M/OTHER」など、数々の名画に携わりキャリアを積み重ねている。2002年の「蛇イチゴ」の監督デビュー以後は、テレビドラマや短編映画などをこなしながら今年で監督としては7年目となる。また、映画制作の他(他ではないかもしれないが)、文筆活動も精力的で「ゆれる」のノベライズ版では三島由紀夫賞候補に、「ディア・ドクター」の原作にあたる「きのうの神さま」では直木賞候補となっている。

「その嘘は、罪ですか。」

作のキャッチコピーであり、映画の大きなテーマでもあるこの命題。
超高齢化過疎化の進む絵にかいたような田舎の雇われ医者が高齢の患者、その家族を相手に日々の仕事をこなす。QOLやケアなど、ただ長く生きることが人生の幸福につながるわけはなく、社会的にも実際の現場でも、様々な取り組みが行われているのだろうが、様々な人間関係によって複雑に構成されるその人の生死の問題は、もはやその人だけのものではなく、現場の人間の葛藤がそこにはあるのだろう。その緊張感や空気感というものをスクリーンを見ている自分たちも体感できるような、“リアル”な描写だった。
結局、孤独であるということが問題なのかもしれないというのが感想で、当たり前だけれど、何百万人の人がいても、それとは無関係に孤独であることはあるし、そんな赤の他人でなくても、たとえば家族の中にいてもそれは同じだろう。人の生死という問題は、自分の人生とは別のレベルでの問題でもあって、それはすなわち自分もその一部である他者との関係性においてということだが、生きている人にとっては、その“生死”の問題はその人の“生”の問題でしかない。保険とか、介護とか、現代社会は死ぬ人にとってなんと死ににくい社会だろう。

作では医大の研修医がその村に滞在する2ヶ月間と、事件後の捜査の様子という大きく2つの流れを巧みに掛け合わさってストーリーは進む。前者のみでは、感動ものになりかねないテーマ、ストーリーだが、後者の“疑ってかかる”視点、どこか冷めた語りが、見る側に自らの判断をするための隙間を作ってくれているように感じた。こういったストーリーはやりつくされている感があるが、非常に巧みに描いていると思った。

DVDが出たら買います。

◆参考website
Wikipedia 西川美和
『ディア・ドクター』公式サイト

トウキョウソナタってどんな映画?

トウキョウソナタ [DVD]トウキョウソナタ [DVD]
(2009/04/24)
香川照之小泉今日子

商品詳細を見る


2008年9月27日公開の日本映画。監督は「CURE」、「LOST」の黒沢清。出演は香川照之、小泉今日子、井之脇海、小柳友、役所広司等。本作は2008年カンヌ映画祭ある視点部門審査員賞を受賞している。また、小泉今日子と井之脇海はキネ旬ベスト・テン主演女優賞、新人男優賞を受賞している。

***

代の東京のある家族の物語。リストラ、戦争、学級崩壊。疲弊した社会の疲弊した人間たち。残酷で、絶望的で、極めて現実的な、その“現実”は様々な姿で家族を捉えている。

これはある家族の地獄めぐりの物語だ。

「目が覚めて、、、ぜんぜん違う自分だったら、、、」
「やり直したい、、、どうしたら、、、やり直せる、、、」

“現実”という大いなる虚構の前になすすべなくおのずから死へと向かって走り始める彼らの姿は、どこか生々しく、大きな力を感じてしまう。“現実”における死に向かうことは、あるいはあらゆる嘘や欺瞞、虚構をぬぐい去り、“生”を生きることなのかもしれない。

すべてを失ったかのように見えた彼らにも、朝日は上る。彼らの代わりに死んだ誰かとともに、彼らの中の何かも死んでしまったかのようだ。彼らの手からはそれまで彼らが築き上げたささやかな“現実”はもう残っていない。しかしその眼は朝日をしっかりと見つめている。

地獄の果てに彼らが目にした月の光は、彼らの心の深部を大きく震わせた。

「理屈を超えた、希望の片鱗を見せたかった」

なんとも言えないこの説得力はなんだろうか。

***

映画「トウキョウソナタ」公式サイト
テレビドガッチ トウキョウソナタ特集
トウキョウソナタ - Wikipedia
黒沢清 - Wikipedia

「ダークナイトってどんな映画?」

日本、いや世界随一のアニメーション制作会社のスタジオジブリの現代表取締役、数々のジブリ作品のプロデュースを手がけてきた鈴木敏郎氏のpodcastをよく聞いている。(ちなみに、’08年2月から代表取締役社長には元ウォルト・ディズニー・ジャパン会長の星野康二が就任。アニメーター宮崎駿は取締役だそうだ。)
鈴木敏夫に所縁のあるゲスト(映画宣伝マンからスピルバーグ、タクの運ちゃんまで)を「鈴木敏郎さんの隠れ家」である煉瓦屋に招き、大変興味深い対談?だべり?を聞かせてくれている。
このpodcast、番組としてかなり好きだし面白いと思う。またおいおいそのことに関しても考えてみたい。

さて、この「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」の2月17日配信分に関して。
鈴木敏夫のジブリ汗まみれ
トルネードフィルムの叶井俊太郎さん、アスミックエースの谷島正之さんと小川洋之さんを招き、「アメリ」の裏話等、いつものノリで盛り上がっていたが、後半は映画「ダークナイト」の話に。。。
ダークナイトとは、アメコミの「バットマン」が原作の実写映画。ヒーローもの。1989年から続く第6作であり、『バットマン ビギンズ』から再スタートした新生バットマンシリーズとしては2作目となる。監督は前作に続きクリストファー・ノーラン。
これまでバットマンを腰を据えてみたことがないけれど(前作のビギンズ以外は見てると思うが。。。)、本作はバットマンシリーズとは一味も二味も違う「正義」観、ステレオタイプな正義、あるいは悪ではなく、人間だれもがそのどちらも持っているという視点、その矛盾が生む葛藤をシリアス(ダーク)な演出で魅せた。社会派映画にすら見える。またバットマンの敵役であるジョーカーを演じたヒース・レジャー(「チョコレート」原題は「モンスターボール」に出演していた)の好演(と数々の助演男優賞の総ナメ、)と完成を待たず急死したことが印象深い(友人はジョーカーを演じたせいで、睡眠薬を手放せなくなり、うんぬん、、、って言ってたけど)。

番組内では、
◆いわゆる“ヒーローもの”であるバットマンで、悪を肯定してしまったややこしさ
◆時代性を反映させたとはいえ、希望、あるいは正義を叫んでほしかった
というような意見が聞けたと思った。たぶん。

「悪の肯定」に関しては、ステレオタイプな正義・悪観、その二項対立構造を捨て去ったことと言いかえることができるなら、そうかもしれないな、ややこしいな、と思う。しかし、従来の二項対立的な善悪観に共感できる人なんているのだろうか、とも思ってしまう。もちろん、僕は犯罪に手を染めているわけではないけれど、そいういった善悪という価値観で自分の行いを振り返ると、悪い人間であることに間違いないと思うし、逆に、そんな善人がいたら胡散臭すぎて近づけないと思う。個人的には、いわゆる“ヒーローもの”で「悪を肯定」するということを、現代のヒーローとは?現代の正義とは?という問いに対する挑戦であるというふうな視点で捉えたいなと思った。

また、本作の中では希望、正義、そういうものも描かれていたと思う。たとえば、、、3万の一般市民と、3万の囚人を乗せた二艘の船に爆弾が仕掛けられていて、前者の船には後者の船の爆破装置が、公社の船には前者の船の爆破装置があり、一切の通信が遮断されている中で、相手に殺される前に、相手を殺さなければならない、というジョーカー流ゲームでは、人々は互いに爆破装置を海に投げ捨てることを選んだし(というか、どうしてもスイッチを押せなかった、という感じ)、殺人の汚名を被ったバットマンの真実を知る少年の存在などだ。なんとなく、これが伏線で、次回作以降で何かしらの答えを停止してくれるんじゃないかと思う。

バットマンであるブルースの葛藤、苦悩はリアリティがあって、こちらも非常に考えさせれる。
市民の平和のためなら、自らの犠牲をも厭わない、というのがバットマンの正義?として描かれていたと思うが、市民の平和って何なのか、ということが獏っとしている気もするし、、、そんな平和のために見えないところで誰かが血を流していて、平和中毒者はそれすら知らない、そんなあり方もどうかと思う。ううむ。

また見てみよう。

    

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