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「一箱古本市の歩きかた」 を読んだ

「一箱古本市の歩きかた」を読んだ。光文社新書。著者南陀楼綾繁(ナンダロウシゲル)。

著者は1967年生まれのライター、編集者。1997年から2005年まで「本とコンピュータ」編集室に編集スタッフとして在籍。その後「不忍ブックストリート」を仲間とともに実施する。

不忍ブックストリートとは、東京の谷中・根津・千駄木の通称「谷根千(やねせん)」と呼ばれるエリアで行われている「一箱古本市」と呼ばれる古本市やその他の活動、構想のこと。
「不忍(しのばず)」というのは、このエリアの中央を通る通り(不忍通り)の名前のようだ。このエリアは小さな喫茶店やレストランがたくさんあって、もちろん新刊店や古い古書店もたくさんある(本好きや関係者の注目を集める!?)路地の多い下町で、歴史的にも「本」との関わりが深いらしい。たとえば森鴎外や夏目漱石などの文化人がかつてここに住んだし、そのほか多くの文人の墓がある。またかの有名な講談社はここで生まれたらしい。また近くに東京藝術大学があり、寺社が学生に制作・発表スペースをかしたり、最近ではいわゆる「まちアート」的なイベントも行われているようだ。文化的な活動に対する下地がある程度はある(比較的ある?)場所。
「一箱古本市」というのは、既存の店先(書店、ギャラリー、雑貨屋、なんでも)に参加者が段ボール一箱に入れられるだけの量の古本屋を出すというとてもシンプルでコンパクトなスタイルの古本市だ。新刊店に並ぶ本といえば、あたりまえだが、とにかくあらゆる本を、よく売れる順にたくさん揃えるという方向に行くだろう。古本屋、特にブックオフ等の大型店ではなく小さな古本屋はそんな新刊店では出しにくい個性(品揃え、雰囲気など)が魅力だが、気軽に店を構えるということはもちろんできない。しかし、ほとんどの人がその人生の中でそう少なくはない本と接してきていて、家に本棚の一つや二つはあるだろう。売る(あるいは売ることのできる)範囲を段ボール一箱と制限することで、誰もが店を出すことができる。そして店の個性も人の数だけ多様になる。(そういえば他人の家の本棚というのはなんであんなに魅力的なのだろうか)
また、この地域にあるたくさんの(ガイドマップ?にも載らないような)小さな店(喫茶店、カフェ、レストラン、古書店、ギャラリーなど)を一括して載せた地図を作り、その地域全体を盛り上げる。「一箱古本市」という短期のイベントと、この地図という筆者の二つのアイデアと、いくつかの古書店のスタッフというメンバーで実行委員会を立ち上げ、参加者を公募し、2005年から今までで計9回の古本市を行ってきたそうだ。そうした活動や、将来的に谷根千エリアを盛り上げたいという構想が、つまり「不忍ブックストリート」だ。

この本には、その「不忍ブックストリートの一箱古本市」の構想、立ち上げ、実施に至る経緯や、当日の様子、運営方法、将来的な課題が第一部に。第二部では「本」に関連する全国の動きのレポートが(たくさん!)掲載され、第三部ではこうした動きの背景として、読書と読者の変化に関して著者の考察がまとめられている。

第一部では、新しい動きを作る人達がたくさんの実務に追われ、議論を繰り返し(そして皆で酒を飲む)、実施に至るまでのプロセスが生き生きと描かれていて、非常に羨ましく思った。当日には、参加者(全国の古書店から書店員も混じり)がいろんな工夫を凝らした店を出している様子が楽しい(興味深かったのは「葉書文庫:文庫本をクラフトペーパーで包み本の解説を少しだけ付け、ポストカードとして売る。もちろん中は見れない」と「マドアキ文庫:同じくクラフトペーパーで包み一部を切り抜いてすべては見れないようにする。チラリズムだ。」)。売る側と買う側とのほほえましい交流もよい。運営に関しては、参加者マニュアルや、組織体制(実行委員会+助っ人(ボランティア))に関しても言及してある。活動を続けていく中で、常連さんの出現によって初心者が参加しにくくなっていることや、売ること重視になりがちであること、継続的に活動を続けていくために関係者に形としてのメリットを生みださなければならないなど(なんど何ら公共の団体と協力しているわけではないようだ!参加費で賄っているらしい、赤字だろけど)、課題もいくつか触れている。運営上の苦労や工夫はたくさんあるだろうがここでは触れられていない。

第二部では全国のブックイベントのレポートが掲載されている。ケーススタディとしてとても興味深い。中には出版社や書店などが協力して大規模に行っているところもあるし(たとえば福岡の「BOOKUOKA」)、大阪のようにギャラリーとカフェと古書店を同時に行っているところもある。フリーペーパーに関しても言及されていて、技術的な進歩により、お金をかけずデザイン性の優れたものを作れること。また広告収入が少ないことで自由でユニークなものを作れることなどを実例を挙げて説明している。インターネットや携帯が台頭するなかで、出版数は増加しているが、販売数は減る一方で、出版社の倒産が相次ぐ中で、そういった2次元のメディアではない「紙モノ」の価値を見直す動きの一つだと言及している。

第三部では、出版不況が叫ばれる時代だが、本が読まれなくなったわけではなく、読者と本との関わり方がより多様で複雑になってきていることを、70年代の第三次文庫ブームから現代のブックオフや、あるいはアマゾンなどの動き、全国的なブックイベントの増加などを踏まえて書かれている。

一箱古本市というフリーウェア的な手法をコミュニケーションの一つの手段と考えると非常に興味深い。ある環境で、異なる領域にいる人達が共存していて、しかしそこにコミュニケーションが生まれにくいとか(たとえば大学とか)、そういった場所でこういう取り組みがなされたらどうなるのか。「本」というメディアは多くの人とをつなぐポテンシャルを持っていると思う。

一箱古本市の歩きかた (光文社新書)一箱古本市の歩きかた (光文社新書)
(2009/11/17)
南陀楼綾繁

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<参考website>
南陀楼綾繁-Wikipedia
ナンダロウアヤシゲな日々
本と散歩が似合う街 不忍ブックストリート
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「映画の四日間 中島貞夫映画ゼミナール」を読んだ

映画の四日間―中島貞夫映画ゼミナール映画の四日間―中島貞夫映画ゼミナール
(1999/05)
中島 貞夫

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者の中島貞夫氏は、ヤクザ映画や時代映画の映画監督、現在74歳、現役の映画監督、巨匠である。

の本は95年に大阪大学文学部での中島貞夫氏の講演をまとめたもの。映像表現とは何か、映画はどのようにしてつくられるのか、撮影・編集・演出の技法を講演時の雰囲気を感じさせるような口語体で書かれている。当時は中島監督の「首領を獲った男」を題材に講演を行っており、本ではシナリオを資料として掲載することで、その穴を埋めている。

象に残った内容をばいくつか。

◆『映像の在り方は映画が確立してきた』
・『現代は映像で満ち満ちている』 ルミエール
・TVをはじめ身の回りの至る所に存在する映像、その根幹には映画の歴史がある。

◆映像の三機能
・「記録性」:主観/客観の2重の問題、切り取った時点で主観を伴うが、フレームの中は客観的。
・「伝達性」:複製可能なメディアであること。デジタル化に伴いその効力はいよいよ大きい。
・「表現性」:それは「やらせ」と同一のもの。
⇒『一から十までウソっぱちで固めあげて、まぎれもない事実を正確に伝えること、それが映画』

◆35mmとハイビジョン
・意外に思うかもしれないが(よく考えると意外でも何でもないが)、ハイビジョンの解像度はせいぜい16mm程度。映画で使用される35mmフィルムにはハイビジョンの数倍の情報量が含まれている。

◆ショット→カット→シーン
・「ショット」:カメラを回し始めてから止めるまでに撮られる映像。ショットの時間は現実の時間と一致している。実時間、実空間の物理的制約をうけるもの。
・「カット」:ショットを分割したもの。カットの時間は現実の時間と一致している。
・「シーン」:カットをつなぎ合わせたもの。シーンの時間は必ずしも現実の時間と一致しているわけではない。時間と空間が構成的に連続したもの。
⇒『時間と空間が限定されたシーンを、どうつないでいくかというのが、映像表現の基本だ』
⇒『時間と空間の飛躍をどう表現するのか』
⇒『同じショットの中でも、力のある部分と、ない部分がある。選ぶのは力のある部分だけ』

◆脚本と演出
・脚本は映像を表現するために用意される言葉。映画においては論理的に明確に表現されるもの。
 ⇔舞台においては身体表現も重要だが、ことばが最も重要。舞台の脚本は文芸作品になりうるが、
映画の脚本はそうではない、とのこと。
・映像のみでは論理性をあらわすことはできない。言葉(脚本)によって論理性を得る。
・映画における演出は、感覚的なもの。映像のために行われること。

・ドラマは言葉ベース。歴史的にみるとラジオドラマが元。それに対して、映画は映像ベース。ドラマと
映画の違いはここにもある。

◆ドキュメンタリー
・ドキュメンタリーでは被写体を作ることはない。被写体を選ぶことがドキュメンタリーのすべてである。


***

の本の導入には、私たちの周りには映像があふれていること、そしてその成り立ちは映画にさかのぼれるということ。現代と切り離せない映像表現を映画を通してみつめることは、現代を見つめることにつながる、そのように書いてある。

代においては単に映像だけでなく、様々なメディアが複雑に存在している。冒頭に触れられている映像の三機能(記録性、伝達性、表現性)。それは、もはや映像だけのものではなくなっている。TVも勿論そうだが、webの発達によって、あらゆる所に表現(それは、記録も伝達も伴う)が氾濫している。

画の技法を知ることは映像表現のみならずそのようなあらゆるメディアに対する、批判的な視点を与えてくれるのではないか。
主観と客観の問題、表現とやらせの問題、問題をはらみながら目指す方向(『一から十までウソっぱちで固めあげて、まぎれもない事実を正確に伝えること、それが映画』)、言葉と映像の差。
写真にしろ、動画にしろ、脚本(論理性)と演出(感覚)によって、何かを伝えることができるとすれば、その裏側にある脚本と演出の在り方を見つめることは、それによって伝えられる何かが、どのくらい信頼できるものなのかということを自らが判断する際の手がかりになりうる。あるいは、自発的に自分が何かを見せるとき、本当に伝えたいことを伝えるためにも大切なことだ。

事を見る力、物事を語る力、そのとっかかりがそこにはあり、情報過多なこの現代社会において、批判性は個人が生きるために必要なチカラだと思う。

<参考website>
Wikipedia 中島貞夫

「シブヤ大学の教科書」を読んだ + 大阪○○大学(仮)

シブヤ大学の教科書シブヤ大学の教科書
(2007/09/14)
シブヤ大学

商品詳細を見る


ブヤ大学とは、特定非営利活動法人シブヤ大学が運営している活動のこと。
『広く一般市民に対して、社会教育に関する講演会やイベント、小中学校の総合的な学習への授業カリキュラムの提案等の教育事業を行い、もってあらゆる世代の人々が生涯にわたって学び続け、いきいきとした生活が送れる社会の実現に寄与する。』(シブヤ大学:法人概要
特定非営利活動法人グリーンバード代表のハセベケン氏の立案、当時副代表の左京泰明氏が学長に就任し、2006年9月に活動を開始した。
表参道ヒルズや、タワーレコード、青山ブックセンター、カフェ、病院、小学校など、特定の校舎を設けず、渋谷にある様々な場所を会場に、公開授業を行っている。
講師陣がユニークで、天文学者、写真家、政治家、料理人、ミュージシャン、ホスト等など、それぞれの専門分野を活かした面白い授業を展開している。
ターゲットを20代から30代の若者に設定しているところが面白い。渋谷のような都市だからできることだ。

この本は、そんなシブヤ大学の成り立ちや、これまで(’07年9月まで)の授業の中からいくつかを紹介するもの。やはり参加して見ないとシブヤ大学そのものの雰囲気は味わえないのだろうと思うが、企画のテーマの幅広さや、見せ方(ターゲット層である若者をひきつけるような)が面白いなと思った。

本の内容とは直接関係はないが、大阪にも、大阪版シブヤ大学のようなものを作ろうとしている組織があるようだ。
大阪○○大学



【参考webサイト】
シブヤ大学
大阪○○大学
グリーンバード
    

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