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MAJESTy's BOOT CAMP in 関西 に行ってきた

「早稲田大学集中公開講座 MAJESTy's BOOT CAMP in 関西 ~ 科学技術ジャーナリズムを考える2日間 ~」、
というのに行ってきた。

http://www.waseda-majesty.jp/events/index.html

といっても、実際受講した講義は2つだけ。
・「科学技術論とは何か」:綾部広則(早稲田大学理工学術院准教授)
・「科学ジャーナリズムの科学」:田中幹人(早稲田大学政治経済学術院講師)



■「科学技術論とは何か」:綾部広則(早稲田大学理工学術院准教授)

科学技術論というのは、最近はよく“STS”(Science&Technology&Society/Science&Technology Studies)と言われる、科学技術と社会との関係性を扱う学問領域、研究、取り組みのことだ。今回の講義では特に学問としての科学技術論の話題だった。(あるいは「科学技術論」というと、イコール学問領域のことを指すのかもしれない。)

科学技術論の起こりの背景には、産業革命などによる“文化としての科学”の社会制度化、“学問としての科学”の職業科学化によって、「科学」という営みそれ自体を検証する必要性が生まれたことがあるようだ。
当初は科学社会学という分野がこれを担い、その第1世代は「科学者とはいかなるものか」、つまり、科学者コミュニティの制度を観察することを行っており、続く第2世代は「科学的知識とはいかなるものか」、実験という発見の現場で何が行われているか、ということを対象としていた。
第1世代の問題意識は、科学の権威化を防ぐ、というもので、第2世代はそれに対して穏健的ではあるが、その問題意識はある程度共通しているようだ。これら2世代の研究はもうすでに“完結”しているとか。もうやることがないらしい。
90年代以降のキーワードとしては、「知識の状況依存性」(かなり限られた条件でしかある理論なり何なりが起こりえない)、「客観性の政治学」(?)、「公共性の科学技術」(?)などがあるらしい。

社会的な動きとしては、60~70年代に欧米を中心にSTSを考える学科プログラムが生まれる。90年代以降は、「政策」、「教育」、「コミュニケーション」に影響を与え、日本でも最近は北海道大学、東大、早稲田、大阪大学などで独自のプログラムが行われたり、科学技術社会論学会という技術、政治、法律、教育、コミュニケーションなど幅広い専門領域の人々が異種格闘技的に意見を交換する会が行われていたりする。

講義後の質疑応答では、「科学技術論の成果は科学技術に還元されているのか?」という鋭い質問があったり(あまり還元されているとはいえないらしい)、「科学技術論の専門家やSTSの取り組みをしている人たちと、科学者とのインタラクションが乏しく感じられる」など、現実的な意見が聞けた。

科学は歴史的にも、もちろん現在も、多くの様々な専門家によって多角的に議論されているし、その必要性は現実的に疑うことはできない。しかし、そのような議論のすべてを一般人と共有することは到底不可能だが、科学の高度化、専門化はいろいろな誤解や問題を生んでいるようにも思う。科学リテラシーをマスに対して育てるには教育かジャーナリズムだと思うが、それらの現状と現実的な可能性はどうなんだろうか。



■「科学ジャーナリズムの科学」:田中幹人(早稲田大学政治経済学術院講師)

田中氏はライターとしての活動経験も豊富であるらしく、理解しやすい導入と、現状分析、それに対するジャーナリズムとしての実践内容などをMajestyでの研究紹介もからめて、なんというか、すばらしい講義だった。頭の回転が速い。

導入として科学技術と社会の歴史的な流れを追った。
対戦直後のの日本における一般市民の科学に対するイメージは意外にも「科学自体は有益なものだ、使い方を誤っただけだ」という科学礼賛的な世論があったという。しかし、1970年代、冷戦や原発事故、公害問題や、それに伴う時代の閉塞感などが原因で「科学は人類を滅ぼしかねない」ものとしてイメージされるようになっていった。
それに対して、科学リテラシー教育の必要性が生まれ、実践された。その結果は理系志向が進み、それに伴い、科学雑誌の多数刊行、新聞記事など、科学ジャーナリズムの黄金時代を築いた。しかしそこには、科学者からの批評がないことや、両論併記(対立する意見を公正に述べた上で意見を言う)ことがないなどの問題も多数あったようだ。
ターニングポイントは1985年、日本ではバブル崩壊直前である。イギリスでは公衆と専門家とのコミュニケーションの必要性が問われ、サイエンスカフェなどが行われるようになる。しかし、公衆が無知であるという前提で行われたことや(研究者でない一般人でも、たとえば公害問題や医療問題の被害者は専門家に劣らない知識と情報を持っている)、特に日本では一般人に対するメディアとしては、テレビや新聞くらいしかなく、伝えられる知識・情報に限界があったことなどが原因であまり良い結果は得られなかったようだ。
そこで、専門家と一般人の知識量は等価と考え、科学知識と現場知のインタラクションをはかるため、北海道大学(専門家と市民をつなぐコーディネーターを育成)、東大(専門家のコミュニケーション能力を養う)、早稲田大(専門家と一般人のメタ的な存在として科学を批評するジャーナリストを養成する)などが独自のプログラムを実施している。

現在の日本は、たとえば出版不況や民放の低視聴率、それに対してWeb2.0などに見られるインターネットメディアの普及によって、メディアを取り巻く状況が大きく変動している。
そんな中、企業や研究所の広報の自前化が進み、発信される情報は寄り添う集団の利害をはらまざるを得ないという問題が生じる。そのような状況下では、多段階の多層な人に対するリテラシーを育み、“参与者が参加可能な”議題構築の役目を担うジャーナリズムのシステムが必要となる。
しかし現状では、科学者のメディアリテラシーの欠如、ジャーナリストの科学リテラシ―の欠如、マスメディアによる議題構築の困難など、システムが機能不全に陥っている。
そのような問題に対して、日本では「ScienceMediaCenterJapan(SMCJapan)」の設立に向けて準備が進んでいる。
SMCはイギリスをはじめ世界各地にネットワークを形成しており、主な機能としては、科学者からの情報発信の支援、ジャーナリストに対する科学者の紹介、科学者に対するジャーナリストの紹介などがあり、科学者とジャーナリストの良好な関係を構築する事を役目とし、またそのネットワークを利用して、災害やインフルエンザ等の感染症など、国境を越えて進行する諸問題に関する迅速な情報共有/発信を目指すNPOだ。

この講義で印象に残っているのは、ジャーナリズムによるアジェンダビルディングは、それに対する批判の吸い上げも含めてのそれであるべきという事で、ジャーナリストはパイプのような存在であり、マスメディア(日本ならTVや新聞、googleやyahooなどのニュースサイトだろうか)にそれが達成されることを、背負うものが多すぎのではないかという不安もあるが、期待する。
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Comment

shin | URL | 2010.02.17 21:47
科学技術論やSMCというものの存在を今始めて知ったんだけど、科学者を志す上でこういう動きがあるのはとても心強い^^
| | 2010.04.12 17:52
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